2012年9月8日土曜日

何が問題なんだろう? 『遺伝子組み替え食品』

今度は、薬効試験と副作用試験の比重について考えてみます。近代的医薬品開発の黎明期は重化学工業の中から純粋な物質を取り出し、病気に効く物はないかと探していた時代です。その時代は『薬効』に比重があり、病気に有効だと強烈なプラス評価で一般大衆に受け入れられました、科学という魔法が生み出す奇跡の物質として。

しかしながら、その後大きな副作用を発生させ世界的大惨事となる事故が多発しました。サリドマイドが有名な事例です。それからというもの、製薬科学に対するプラス評価は一気に下がり、大衆側の共認は他の産業に先立って(公害問題以前に)安全第一となった経緯があります。最近では血液製剤の問題が同じ例ですが、歴史的にはずっと少なくなってきています。

この過程で、薬効の前に副作用検査という共認が形成され莫大な費用と長い年月(15から20年の開発期間のうちほぼ全期間)にわったって検査します。事故の中には、生殖系に影響を与えるものもたくさんあったことから、催奇性試験といって生殖系への影響の判定も含まれています。

副作用試験は動物実験から始まり、最終は人体実験で確認します。副作用の臨床試験は健康な人で行い、それが通過してから、病人を対象とした薬効の臨床試験が行われなす。そして、最近では極微量の投与で効果のあがる生物由来の物質の再合成薬が殆どですから環境ホルモンとよく似た副作用になります。

そして、薬効のある物質はたくさん発見できるのですが、その殆どが副作用で商品にたどり着かないというのが実態です。それほどの非効率さを持ちながらも、大衆の薬に対する期待は大きいため、健康保険制度をうまく使って製薬会社の採算が取れるようにしています。ある意味、市場から離れて生産可能な状態を作り上げてきたともいえるでしょう。これが、毒性の検査方法はあるが『遺伝子組換え食品』では乗りこえることが困難な壁だと思っています。

ここで注目すべきは、医薬品の検査方法は環境ホルモンなどの事例に先立ち、社会共認が検査方法を改善してきた好例と考えることが出来ます。そしてその手法は、科学的認識(観念)で方向性を大きく予測し、理論的には不完全でも経験的事実によりその効果を判断するという、要素還元的思考を超えたものとして評価してよいのだと思います。

そして、遺伝子組み替え食品にこの方法を適応するときの問題性は、その方法論にあるのではなく市場価値の枠内である限り採算性の問題が解決しないというところにあると考えています。そして、その価値そのものは社会共認にゆだねられており、もし突破口があるとすれば市場価値から脱却するという社会共認の形成にある、ということではないかと思っています。

最後に、

>しかし、それは組替えによって生じた植物の他植物との競争がもたらす生態系の変化だけでなく、食物連鎖上に生じる生態系の問題でもあると思われます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=5768


異論はありません、生物が毒物(有害物質)濃縮していく過程も、生きた状態だから発生するの問題だと思っています、競争に限って言及はしていません。

本田真吾

0 件のコメント:

コメントを投稿